伊賀忍者回廊第十六番延寿院

延寿院

#国指定文化財 #市指定文化財

忍者との関わり

天台宗寺院。役行者が開いたとされ、不動明王に会える地として数々の修験者が修行した場所。

由来

黄龍山延寿院(現在は天台宗に属す)は今から1300余年前、神変菩薩役の行者小角が開いたものと伝えられる。往昔、役の行者が滝にうたれて秘法を修していたとき不動明王が赤い目の牛に乗って出現せられたといわれ、後にその不動明王を祀り赤目不動尊として行者の守り本尊とし、堂宇を建立し今日に至ったものと伝えられる。弘法大師もこの赤目山中の護摩窟で護摩を修し、妙法山に加法経を納められたと言われている。しかし史実としては、今を去る900年前の承保年間、河内の人金剛仏子正緑が夢の中で三所権現のお告げにより、名張の南方黄滝に生身の不動明王をみ、後築智坊延増が赤目山中に千日籠居し、黄龍山聖王龍寺(又は青黄龍寺)と号して南都東大寺の下寺として八坊を建立したと文献に記されている。
いずれにしても、平安朝から鎌倉時代山岳仏教の道場として栄えていた。鎌倉時代より室町、戦国の世にかけて仏教思想の上に弥陀の浄土思想が興り、従来よりの密教思想や龍神信仰と相俟って赤目の滝は、その深山幽谷で滝の数も多く、龍が棲むと言われる位の底知れぬ深澤があり、弥陀の浄土に生まれようとする浄土思想の実践にふさわしい道場であった。滝も「あみだが滝」とよばれており、48滝もこの阿弥陀如来48願からつけられたとも言われている。その後八坊伽藍も後三条天皇頼願により再建されたが、天正年間伊賀の乱に(伊賀忍者の修練場であったために)、織田勢によって灰燼に帰したのである。わずかに残ったのは、鎌倉時代の石灯籠と菊の紋章入りの巨大な鬼瓦ぐらいであった。後に藤堂高次公が不動院観音堂を建て、代々藤堂家の祈願所として明治維新まで庇護されてきたのである。

(由緒記ほか より)

延寿院データ

本尊

木造不動明王

延寿院 石灯籠

国指定文化財 石灯籠
大正7年国宝に指定、重要文化財として保護されている。
鎌倉時代の作で、裏面に徳治2年の銘がある。様式は春日灯籠で高さ2.5m基礎三重のうち、再下段は後世の補作と言われている。頂の宝珠は中央にくびれがあり、笠は六角蕨(わらび)手、火袋六角で一部は堅連子形の欄間を刻み、その下面に蓮弁が彫られている。竿は円筒形(竹筒形)で三節があり、竿がこの灯籠で最も貴重価値があり、鎌倉工芸の名作と言われている。
この時代に作られ、現在保護されているのが、奈良三月堂の石灯籠(建長6年)吉野丹生川上中社の石灯籠(弘長元年)である。
市指定文化財 納経版木・宝印版木
市指定文化財 石造十三重塔
市指定文化財 津藩主寄進状

季節の花木

菩提しだれ桜

春(4月〜6月)
市指定文化財 菩提しだれ桜
この桜は樹齢約400年で高さ7m幹周り5mのしだれ型で品種はエドヒガンです。慶長13年(1608)、植えられたのは高虎公が伊賀に来られ、伊賀上野城と、領国安堵の祈願所に赤目延寿院を復興されたそのころだと推定されています。例年四月初旬に花をつけ参拝客をお迎えします。やや小型の一重咲きの花が咲き、萼筒(花びらの根元にある『ガク』の形)は壷型。本堂越しに遠くから見ると幹の太さとあいまって日本人好みの盆栽のような趣がある桜です。

催事

春(4月〜6月)
滝詣り祈願祭(3月最終日曜日)

住所 〒518-0469 名張市赤目町長坂753
連絡先 080-2965-5548(延寿院 納経所)
受付の目安 9:00〜16:00
ご朱印のいただき方 染筆式(不在の場合は朱印状式)
ご朱印料 300円

代表的な周辺名所・史跡等

  • 赤目四十八滝

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